
ボクを見守り、支え続けてくれたオカン。
オカンと過ごした東京タワーの見える部屋で、ボクはオカンとの思い出を振り返る。
若き日のオカン、自堕落な学生時代、時々しか会えないオトン、ようやく喰えるようになった頃のこと。
オカンを東京に呼び寄せ、すべてが上手く転がり始めたと思っていたのに――
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原作は、言わずと知れた、リリー・フランキーの自伝的小説で、大ベストセラーとなった『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』。
これまでも、特番や連ドラとして映像化されてきたが、満を持しての劇場版映画化である。
監督は松岡錠司。
かつて『私たちが好きだったこと』という映画で、私と田口トモロヲを巡り合わせてくれた(いや、もちろん形而上的な意味で)恩人である。
お世辞にも出来が良いとは言えない作品だったが、田口トモロヲ演ずる医者だか助教授だかがもう、それはそれは筆舌に尽くしがたいほど素敵で格好良くて、それ以来大好きになってしまった。
その縁でか、郵便配達員の役でワンシーンだけ出演している。
トモロヲ・フリークは刮目して観るべし!
脚本は松尾スズキ。
この方も、相当クセのある人だな。原作者とは同じ穴のムジナみたいな。
以前、うっかり松尾スズキ作・演出の舞台を観てしまい、その何とも言えないダークな世界観に打ちのめされて以来、大人計画の芝居には絶対に行かないと心に誓ったのだが・・・
でもまあ、今回は舞台じゃないし、脚本だけだから大丈夫かも知れない。と、少々ビビリつつ劇場に足を運んだ次第。
監督の手が入った部分も当然あるだろうが、「こういう芝居も書くんだ。へぇ〜」という、ある種の肩透かしというか、いなされた感じが。
それこそコワイくらい、守備範囲の広い劇作家なんだな。
そして、出演者がこれまた最強の布陣。
スクリーンの中のオダギリジョーは、なんのてらいもなく、どうしようもなく情けなくて、それでもなんだかいとしい男“ボク”としてそこに居た。
若き日のオカンを演じた内田也哉子の、茫洋としていながら、どこか艶っぽい雰囲気に惹きつけられた。
蛙の子は、やっぱり蛙みたいだ。
樹木希林の演技力については、あらためて言うまでもないだろう。
久しぶりに会うオトンの前で、少女のようにはにかむオカンの愛らしさ。
そして、ベッドの上、という極めて動きの限られた条件の中で見せてくれた、小手先の芝居ではなく、頭の先から爪先に至るまで、隙間なく張り巡らされた演劇の神経、その圧倒的な演技に感嘆せしめられた。
何一つ成し遂げられない中途半端な男なのに、何故かいつまでも魅力的なオトン。
その人生をモラトリアムに置き続ける、自由人という名のダメ男っぷりを見せつけつつ、「でも、オカンが惚れるのも無理ないわ」と納得させる。という離れ業をやってのけた、小林薫に拍手を。
主要登場人物以外にも、あんな人やこんな人がワンシーンだけ出演してたりするので、そこら辺も要チェックだ。
絶対、泣かない!と無意味に頑張ってみたが、やっぱり終盤はちょっと涙腺がゆるんでしまった。
でも、私はオダジョーに負けたんじゃない。樹木希林の全身を使った芝居の迫力と、絶妙のタイミングで被ってくる音楽に負けたんだ!(←そもそも勝ち負けじゃないし(^_^;)
ちきしょー!福山雅治バンザイ!顔だけじゃなくて、歌も上手いなんてズルいぞ!
私は「泣ける」ということを売りにしている小説とか映画は好きではない。
そんな煽り文句を掲げてる作品は大抵、駄作だ。
しかしながら、原作を読んでいないのは上記の様な理由からではない。
リリー・フランキーが苦手だからだ。
嫌いなのではなく、なんか怖いのだ。
「おでんくん」さえも、おっかなくて観てられない。
従って、本作が原作に対してどういうスタンスなのかは分からない。
入りきらなかったエピソードもあるだろう。
原作ファンにしてみれば、イメージのギャップもあるかも知れない。
ただ、原作があるということを念頭に置かず、ひとつの邦画として観た場合、この作品は優れていると思う。
私はあまり、小説や映画では泣かない方だ。
天の邪鬼だからとか、感性が枯れかけてるとか、様々な要因はあるが、制作者側の「泣かせてやろう」とか「これは泣くだろ」みたいな意図が透けて見えると、とても下品に思えて、途端に冷めてしまうのだ。
しかし、今作にはそういう計算は露程も感じられなかった。
この物語を紡いでゆく過程で、必然的に組み上げていったシーンが、たまたま観る人を泣かせてしまう効果を持った、という感じだった。
結構シビアな話だし、さらにはボクを自分の立場に置き換えて深く考えると、ズドーンと落ち込んでしまうこともあるかも知れない。
でも、私は、観に行ってよかったと思う。



