2009年09月03日

『南極料理人』

南極料理人

舞台は1997年の南極ドームふじ基地。
標高は富士山よりも高い3,810m、昭和基地からの距離1,000km、日本からの距離は14,000km、外気温平均マイナス54℃。
この極寒の地で、8人の南極観測隊員たちが、およそ1年半のあいだ生活を共にするのだ。

主人公、西村(堺雅人)は海上保安庁から派遣された調理担当。
タイチョー(きたろう)は気象庁からのの気象学者。
本さん(生瀬勝久)は極地研究所からの雪氷学者。
兄やん(高良健吾)大学院からの雪氷サポート。
平さん(小浜正寛)は極地研究所からの大気学者。
盆(黒田大輔)は通信社からの通信担当。
主任(古舘寛治)は自動車メーカーからの車両担当。
ドクター(豊原功輔)は北海道の市立病院からの医療担当。

家族の反対を押し切ってやってきている学者たちと、業務命令でやむをえずやってきているメンバーの間には、微妙な温度差が。
しかし、基地での生活を通して、特に西村が腕を振るう食卓を通して、観測隊員は家族のような絆で結ばれてゆく。

これといった大事件は起きないが、南極ならではのエピソードや、日常生活でもありそうなおかしな出来事がぎゅっと詰まった、くすくすっと笑えて、ちょっとせつない物語だ。

***


足りないものがあればすぐに買いに行けて、水が100℃で沸騰する、という当たり前が、南極では通じない。
食料は冷凍、缶詰、乾物が中心で、野菜や果物はほとんど食卓に上ることはない。
標高が高いため気圧が低いので、沸点が85℃と低く、熱湯を沸かすことが出来ない。
その為、ご飯は圧力鍋で炊かないといけないし、麺を茹でても芯が残ってしまう。
「雪はあるけど、水はない」ので、水は自分たちで雪を溶かして作らなければならない。
日本人が日常的に享受している便利さが、いかに貴重なものであるのかを、観測隊員は実感する。
それだけに、西村の心尽くしの料理が、彼らにとって日々の励みになったであろうことは想像に難くない。

大エピソードがないかわりに、小エピソードが山ほど詰まっているので、一回見ただけではすべてを拾いきれない気がする。
単発のエピソードに加え、時間経過を見せて、そこから生まれる笑いもある。

単調な生活にアクセントをつけるため、ドクターが用意してきたNHKの体操番組。
毎朝みんなでそれに合わせて体操するのだが、最初はぎこちない動きだった西村が、月日が過ぎるにつれ、俊敏な動きをするようになる。
とか、
隊員の髭や髪が次第に伸び放題のボサボサになって、服装もだらしなくなってゆく。
とか。
まだまだ一杯あって、挙げたらキリがない。

伊勢エビフライのシーンは、やはりかなり面白かった。
だから言ったでしょう?という表情の西村と、戸惑う隊員たちの仕草が、くだらなくもおかしい。

ひとつひとつのシーンもさることながら、構成の妙が光る。

食事のために南極に来たわけじゃないから、という本さんの言葉に、西村がちょっとムッとするが、巨大な肉を焼いて、「ここ、南極だよね・・・」と言わしめるシーンは痛快。
終盤の朝食のシーンでは、西村=お母さん、本さん=お父さん、以下子供たちみたいな関係性と別れの予感が示されていて、おかしくも少し寂しかった。

料理人としての誇りと、仲間への愛情が詰まった料理の数々は、本当においしそうだった。
この映画の主役は堺雅人・・・ではなく、実は登場する数々の料理だったのかもしれない。

あと、登場シーンは少ないものの、子役(西村の娘、友花役の小野花梨)の演技が絶妙。
キックの強さといい、台詞回しや表情といい、あの年頃のちょっと父親を小馬鹿にした感じが、リアル。
それだけに、テレビ電話のシーンに深みが増したような気がする。

生きること=食べることの重要性と、家族の大切さを描いた、おいしい映画。
タグ:映画 邦画
posted by ささみ at 17:58| Comment(1) | TrackBack(13) | 映画(な行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

帰国

6泊7日でフィンランド旅行をしてきた。
帰国した成田空港にて、さっそく熱風と湿気の洗礼を受ける。
ケッペン先生!!この国は温暖湿潤気候(Cfa)だったんじゃないのですか!?

帰宅すると家のクーラーが故障している。
スイッチを入れると水がパタパタと落ちてきて、辺りが水浸しに・・・
この暑さでクーラーなし。
電気屋さんは休業日。
嗚呼!なんたるちあ。
タグ:日記
posted by ささみ at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

『桜姫』渋谷・コクーン歌舞伎/Bunkamuraシアターコクーン

桜姫連続上演の二ヶ月目。
先月は長塚圭史の翻案による現代劇で。(現代劇らしく、コテコテでこむずかしかった。悪くはなかったけど、観ていて疲れた。メンツも濃かったしなぁ)
今月はスタンダードな歌舞伎で。
まあ、スタンダードとはいってもそこはコクーン歌舞伎、随所に楽しい演出があった。

コクーン歌舞伎では福助の『桜姫』も観たが、やはり今回の七之助はガラリと雰囲気が違う。
福助の桜姫は可憐で情が深い感じだった。
七之助の桜姫はどこかドライで諦観の念が強く出ているように感じた。
私はどちらの桜姫も好き。

七之助はほんとうに美しかった。
数年前まではその線の細さがなんとなく不安だったけど、現在はそれさえも魅力的に映る。
地蔵堂での「今宵ばかりは手前の体のようだ」という呟くような一言が、遊女の悲哀を漂わせていて、ぐっときた。

勘三郎の清玄。
現実にあんなのいたら嫌だなぁ、と思わせるようなリアルさ(笑)
男色家でショタコンでストーカーって・・・桜姫がドン引きするのも致し方ない。
恋に迷った男の愚かさが、100%体現されていた。

橋之助の権助。
桜姫の零落は、元はといえば全部こいつのせい、という悪党なんだが、どこか間抜けな感じの色悪を、橋之助が時にセクシーにときにかわゆく演じていた。
だめんずだけど、超男前・・・最悪だ(笑)

彌十郎と扇雀のゴールデンコンビも健在。
夫婦漫才のような掛け合いがとても楽しい。
飛んだり跳ねたり吹っ飛ばされたりと元気いっぱいの扇雀さん・・・怪我しないでくださいね。

南北作品の修羅場は、殺人者の心理がものすごくリアルに表現されていて、ちょっと怖い。
大南北は、もしかして・・・なんて疑ってしまうほど。

素敵に酔える芝居ですぜ。
タグ:芝居 歌舞伎
posted by ささみ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする